TVアニメ『BANANA FISH』2話感想

#02「異国にて」(In Another Country)

オーサーの仲間に連れ去られてしまったスキップと英二。
2人を助けに向かったアッシュは、オーサーと手を組んだゴルツィネの部下・マービンに捕まってしまう。
アッシュの機転で逃げ出そうとする3人。さらにショーター達も現れ、乱闘が始まる。
逃げるマービンを追うアッシュだったが、部屋に入ると意外な光景を目にすることに──。

(引用元:STORY | TVアニメ「BANANA FISH」公式サイト

 

アッシュの「自由への憧れ」

2話で最も印象的だったのが、英二が棒高跳びをするシーン。

アッシュは、誰にも飼われない自由を意味する「リンクス(山猫)」の通り名とは裏腹に、かぎりなく不自由な人生を歩んでいる。幼い頃から汚い大人たちに搾取され続けてきたせいで、彼は人生に疲弊している。生への執着を失っていると言っても良いかもしれない。だから「どうせ死ぬんなら何だってやってやらあ!」と啖呵を切って空を飛ぶ英二の生き生きとした姿に憧れたのだろう。空を飛ぶ英二がスローモーションで描かれ、アッシュの瞳にくっきりと焼きつけられるシーンが美しい。余計な台詞やモノローグがないおかげで、アッシュが英二のどこに惹かれたのかが理屈ではなく感覚として映し出される。

このシーンはBGMも良かった。シーンを盛り上げる劇的な曲調というわけではないのだが、何か転機が訪れるかのような期待を感じさせる曲。

英二が棒高跳びの選手であるという設定も絶妙。

袋小路に追い詰められたアッシュは、粉の入ったロケットを差し出すことで英二とスキップだけでも助けようとする。そこで英二が錆びついた水道管を抜くのだが、スキップはそれを武器にしてひと暴れしようとする。

アッシュには、今まで二つの選択肢しかなかった。追手に自由を阻まれたとき、降伏するか、抵抗するか。ここでアッシュは仲間のために降伏を選びかけるのだが、英二は「乗り越える」という第三の選択肢を提示した。人間の力では到底越えられない高い壁を、棒を使ってでも飛び越える。英二の棒高跳びは、いわば「不可能を可能にする力」であり、「運命を切り拓く力」であり、アッシュの人生にはなかったものだ。

この瞬間、自由の国アメリカに生きるアッシュにとっての「自由の象徴」が異国人の英二になり、ふたりの関係性の根幹となる。

空を飛ぶ鳥を眺めながら「お前はいいな…あんなふうに飛べて」と呟くアッシュからは、自分には手が届かないものへの憧憬とか、人生への諦観が感じられる。このシーンでは病室と外の世界を隔てる窓が強調されており、自由になれないアッシュの心象風景も描写されている。空を飛び回る鳥が英二だとすれば、アッシュは籠の中の鳥だ。自由を夢見るどころかさらなる籠(刑務所)に閉じ込められてしまうのだからやりきれない。

 

性的虐待の心的外傷

殺人容疑をかけられたアッシュは、取り調べにて過去に出演した児童ポルノの映像を流され、尊厳を踏みにじられる。オーサーやマービンに暴行されても屈しなかった彼が、これには強い拒絶反応を示す。彼の精神的な脆さがあらわになるシーンだ。

幼い頃に受けた性的虐待のトラウマが、大人への不信感・嫌悪感に直結している。ジェンキンズ警部の手を反射的に振り払い、敵意をむきだしにするシーンからもそれが表れている。

アッシュは病室に訪れたチャーリーに対してもそっけない態度を取るが、その直後に訪れた英二には親しみを込めて接している。大人を拒絶するアッシュは、同年代の少年と交流することで己の少年性を保とうとしている。

「日本にはないのかよ、ああいうえげつないの」

「あんまり、よく知らないんだ」

この何気ない会話からは、アッシュに対して中途半端に同情したり慰めたりせず、知らないふりをしてこれ以上彼の傷口を広げないようにする英二の優しさが窺える。

 

英二の自罰性と共感性

2話の英二からは、自罰的で自己を過小評価する様子が見受けられた。病院に搬送された彼は、己を「ただ足でまといで、何の役にも立たない」と自罰する。さらに、チャーリーにアッシュを説得するよう頼まれた際にも「僕には何もできない」と嘆いている。

アッシュはもう覚悟を決めてしまってるんです

僕は、とても言えなかった

他の奴に任せろなんて……

英二の心に根を張る無力感がアッシュの人生への諦観と共鳴している。あんなに生き生きと空を飛んだ英二の心の底にも、無力感や不甲斐なさを内包した本質的な諦観がある。だから英二はアッシュに深く共感して涙を流すが、一方で彼にかける言葉を見つけることができなかった。アッシュは英二のことを自由な人間であると憧れるが、英二もまた無力感という名の不自由に囚われているからだ。