TVアニメ『BANANA FISH』3話感想

#03「河を渡って木立の中へ」(Across the River and Into the Trees)

刑務所に送られることになってしまったアッシュ。
同室になったジャーナリストのマックスは、刑事・チャーリーからアッシュの面倒を見るよう依頼されていた。
しかし、若く容姿のいいアッシュはゴルツィネの息がかかった囚人・ガーベイに襲われてしまう。
運ばれた医務室でマックスが「バナナフィッシュ」について調べていたことを知り…。

(引用元:STORY | TVアニメ「BANANA FISH」公式サイト

 

武器としての性と反骨精神

3話では、アッシュが目的を果たすための手段として自身の性を利用する姿が印象的だった。

若く美しいアッシュは、刑務所内でお姫様扱いされる。廊下を歩くだけで不躾な視線を送られ、「夜這いしちゃおっかな」などと性的な言葉をぶつけられ、無遠慮に身体を触られる。刑務所内での出来事は、彼がこれまでの人生で受けてきた屈辱の縮図だ。直接的な性的虐待に限らず、アッシュの身体は常に客体として消費されている。

2話では性的虐待のトラウマに苦しめられていたアッシュだが、3話では自らガーベイの誘いに乗ってレイプされてしまう。その真意は、怪しまれずに医務室へ行く口実を作り、頭痛薬のカプセルを手に入れるためだった。

多勢に無勢なんだもの

殺されちゃ元も子もねーじゃねえか

犬死にするくらいならどんな屈辱を受けてでも生きる。誰よりも性を嫌悪しているはずなのに、生きるためならその性をも利用してしまう。この言葉こそが彼の反骨精神の表れなのだろう。

アッシュにとって性を武器にするということは、傷口に塩を塗るような行為なのだろうと思う。過去のトラウマを癒す時間を与えられず、自分自身を切り売りしなければ生きることすら許されない彼の壮絶な人生を思うと胸が痛む。

 

自由への渇望

ガーベイと一悶着を起こして反省房に入れられたアッシュは、ディノ・ゴルツィネに対して人生を賭けた復讐を誓う。

自由になるためには、奴と戦うしかないんだ

奴がどんな手を使おうと必ず勝って、生き抜いてやる

アッシュから感じられるのは、憎しみを原動力にした自由への渇望だ。11歳の頃にディノに捕まって以来、多くのものを奪われ、不自由な人生を強いられてきたアッシュは「殺されちゃ元も子もない」と地べたを這いつくばって生きてきたのだろう。そんな彼が空高く飛ぶ英二に憧れを抱いたのは必然だったと言えるし、英二との出会いで彼の心境が既に変化している様子が見受けられる。

アッシュが反省房の中から復讐を誓うシーンは、構図的には2話で病室から青空を眺めるシーンと似ている。籠の中の鳥が自由を夢見るメタファー。しかし、2話のアッシュからは諦念が漂っていた(英二曰く「敵わないってことは彼が一番よく知っている」)のに対し、3話の彼からは強い生命力が感じられる。

アッシュのもつ「たった一枚の切り札」は、いわば棒高跳びの「棒」だ。ディノに敵わないとわかっていても必ず勝ってみせる。英二が体を張って示した「不可能を可能にする力」に倣って、アッシュも今まさに空高く飛ぼうとしている。

 

アンビバレンス

アッシュは、10年前にマックスがグリフィンを見捨てたことを強く非難し、ここを出たらマックスを殺すと宣言する。

グリフィンからもらった手紙の話をするアッシュの声色から、血の繋がった兄の存在がいかに彼の心の拠り所となっていたかが窺い知れる。アッシュ・リンクスがただのアスラン・カーレンリースでいることを許されたのは兄の前でだけだったのだろう。

おやすみ、マックス

あんたのコラム好きだったよ

ジャーナリストとしてのマックス・ロボを尊重し、兄の親友だったマックス・グレンリードを断罪する。マックスを憎んだところで兄が報われるわけでないことは、アッシュ自身が一番よくわかっているはずだ。それでも行き場のない怒りをぶつけずにはいられない。この言葉は、そんな相反する感情のこもったRest In Peaceだった。

生きるために食べ、食べるために戦う|九井諒子『ダンジョン飯』1巻感想

九井諒子著『ダンジョン飯』の1巻を読んだ。

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

 

迷宮内にいる魔物を倒し調理して食べる、新感覚グルメ漫画生の特権としての「食」をテーマに、迷宮に挑む冒険者たちの日常生活を丁寧に観察した作品である。

そんな本作の「倒した魔物を調理して食べる」という斬新なコンセプトを支えているのが、RPGをベースにした世界観。

何度死んでも生き返ったり、装備品を売って換金したり、迷宮の最深部から魔法で脱出したりと、RPGのお約束事が作品世界にナチュラルに溶け込んでいる点が面白かった。特に、何度死んでも生き返れる(パーティが全滅してもすぐにリトライできる)というRPGならではと言えるメタ的な設定のおかげで全体的に明るい雰囲気になっている。作中で死が意図的に軽く扱われているからこそ、シリアスな展開に傾きすぎることがないというか。このRPG特有の「命の軽さ」が「食料を調理する」という人間ならではの丁寧な行為との親和性を高めていると感じた。

冒険者は何度でも生き返り、やり直すことができる。しかし基礎的な実力が備わっていなければ結局何度も同じところで躓くことになり、先へ進むことはできない。そこで必要となるのが、バランスの良い食事に適度な運動、充分な睡眠。そういった規則正しい生活が「強さ」を形作るということを本作は描いている。日常生活と、冒険者としての「強さ」が密接に繋がっていることで、食料を調理して美味しく食べるという行為に必然性が生まれている。

TVアニメ『BANANA FISH』2話感想

#02「異国にて」(In Another Country)

オーサーの仲間に連れ去られてしまったスキップと英二。
2人を助けに向かったアッシュは、オーサーと手を組んだゴルツィネの部下・マービンに捕まってしまう。
アッシュの機転で逃げ出そうとする3人。さらにショーター達も現れ、乱闘が始まる。
逃げるマービンを追うアッシュだったが、部屋に入ると意外な光景を目にすることに──。

(引用元:STORY | TVアニメ「BANANA FISH」公式サイト

 

アッシュの「自由への憧れ」

2話で最も印象的だったのが、英二が棒高跳びをするシーン。

アッシュは、誰にも飼われない自由を意味する「リンクス(山猫)」の通り名とは裏腹に、かぎりなく不自由な人生を歩んでいる。幼い頃から汚い大人たちに搾取され続けてきたせいで、彼は人生に疲弊している。生への執着を失っていると言っても良いかもしれない。だから「どうせ死ぬんなら何だってやってやらあ!」と啖呵を切って空を飛ぶ英二の生き生きとした姿に憧れたのだろう。空を飛ぶ英二がスローモーションで描かれ、アッシュの瞳にくっきりと焼きつけられるシーンが美しい。余計な台詞やモノローグがないおかげで、アッシュが英二のどこに惹かれたのかが理屈ではなく感覚として映し出される。

このシーンはBGMも良かった。シーンを盛り上げる劇的な曲調というわけではないのだが、何か転機が訪れるかのような期待を感じさせる曲。

英二が棒高跳びの選手であるという設定も絶妙。

袋小路に追い詰められたアッシュは、粉の入ったロケットを差し出すことで英二とスキップだけでも助けようとする。そこで英二が錆びついた水道管を抜くのだが、スキップはそれを武器にしてひと暴れしようとする。

アッシュには、今まで二つの選択肢しかなかった。追手に自由を阻まれたとき、降伏するか、抵抗するか。ここでアッシュは仲間のために降伏を選びかけるのだが、英二は「乗り越える」という第三の選択肢を提示した。人間の力では到底越えられない高い壁を、棒を使ってでも飛び越える。英二の棒高跳びは、いわば「不可能を可能にする力」であり、「運命を切り拓く力」であり、アッシュの人生にはなかったものだ。

この瞬間、自由の国アメリカに生きるアッシュにとっての「自由の象徴」が異国人の英二になり、ふたりの関係性の根幹となる。

空を飛ぶ鳥を眺めながら「お前はいいな…あんなふうに飛べて」と呟くアッシュからは、自分には手が届かないものへの憧憬とか、人生への諦観が感じられる。このシーンでは病室と外の世界を隔てる窓が強調されており、自由になれないアッシュの心象風景も描写されている。空を飛び回る鳥が英二だとすれば、アッシュは籠の中の鳥だ。自由を夢見るどころかさらなる籠(刑務所)に閉じ込められてしまうのだからやりきれない。

 

性的虐待の心的外傷

殺人容疑をかけられたアッシュは、取り調べにて過去に出演した児童ポルノの映像を流され、尊厳を踏みにじられる。オーサーやマービンに暴行されても屈しなかった彼が、これには強い拒絶反応を示す。彼の精神的な脆さがあらわになるシーンだ。

幼い頃に受けた性的虐待のトラウマが、大人への不信感・嫌悪感に直結している。ジェンキンズ警部の手を反射的に振り払い、敵意をむきだしにするシーンからもそれが表れている。

アッシュは病室に訪れたチャーリーに対してもそっけない態度を取るが、その直後に訪れた英二には親しみを込めて接している。大人を拒絶するアッシュは、同年代の少年と交流することで己の少年性を保とうとしている。

「日本にはないのかよ、ああいうえげつないの」

「あんまり、よく知らないんだ」

この何気ない会話からは、アッシュに対して中途半端に同情したり慰めたりせず、知らないふりをしてこれ以上彼の傷口を広げないようにする英二の優しさが窺える。

 

英二の自罰性と共感性

2話の英二からは、自罰的で自己を過小評価する様子が見受けられた。病院に搬送された彼は、己を「ただ足でまといで、何の役にも立たない」と自罰する。さらに、チャーリーにアッシュを説得するよう頼まれた際にも「僕には何もできない」と嘆いている。

アッシュはもう覚悟を決めてしまってるんです

僕は、とても言えなかった

他の奴に任せろなんて……

英二の心に根を張る無力感がアッシュの人生への諦観と共鳴している。あんなに生き生きと空を飛んだ英二の心の底にも、無力感や不甲斐なさを内包した本質的な諦観がある。だから英二はアッシュに深く共感して涙を流すが、一方で彼にかける言葉を見つけることができなかった。アッシュは英二のことを自由な人間であると憧れるが、英二もまた無力感という名の不自由に囚われているからだ。

戦国時代を舞台にした姫と忍の身分差恋愛|『シノビハリセンボ・秘』感想

主従以上、恋人未満。

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時は戦国。大名家の三女として生まれた四月朔日ほむらの傍には常に弧陀という忍の青年が控えていた。ある日、ほむらの前に「ハリセンボ」という謎の妖怪が現れて……。

『シノビハリセンボ・秘』は、嘘をつく者の前に現れる「ハリセンボ」という妖怪により両片想いの姫と忍の関係性が少しずつ変化してゆく過程が描かれた短編物語。政略結婚や領地争いといった不穏な要素が盛り込まれつつも、全体的に軽やかな語り口で展開される。元々はエイプリルフール企画のために制作されたものらしく、「嘘」がテーマになっているのもポイント。

戦国時代の雰囲気に合ったグラフィックやBGMはさることながら、特筆すべきはシステム周りの親切さ。一度クリアするとタイトル画面に「ぎゃらりぃ」が解放され、各チャプターにスチル、後日談までもが手軽に見返せるようになる。30分も掛からずに読了できる作品でこれだけ至れり尽くせりなシステムが備わっているのは贅沢だとすら思う。

 

以下、ネタバレあり。

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自他を尊重するキャラクター同士のゆるい関係性|TVアニメ『ゆるキャン△』感想

山梨県を舞台に女子高校生たちがキャンプを楽しむ様子を描く日常系ガールズストーリー『ゆるキャン△』。

yurucamp.jp

今まで日常系アニメには興味がなかったのだが、友人から薦められて観てみたらすごく面白かった。良い意味で起伏のない穏やかなストーリーが心に染みて、素麺をするすると食べるような感覚で一気観してしまった。

  • ふたつのキャンプスタイル:ソロキャン/グルキャン
  • SNSでのコミュニケーション
  • 志摩リンのキャラクター性
  • 特に好きなシーン

 

以下、ストーリーのネタバレあり。

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